伊丹十三『お葬式』〜性と死のディグニティー〜
【マダム】先週から伊丹十三のエッセイを読んでいるんですが、感心して唸ることしきり。
伊丹十三映画は何かお好きなものはありますかザマさん?
【ザマ】『女たちよ』を読んだのは中学か高校生の頃だったかな?スパゲッティ(当日はパスタと言う言葉は存在しなかった)の茹で方とか書いていて、(何故かそれが記憶に残っている)当時は男が料理や自分の好きな事や嫌いなら事を細々とこだわって書いているのが、オシャレだと感じた。
【マダム】「アル・デンテ」という言葉と概念を日本に最初に持ち込んだのは伊丹十三らしいですよね、昭和30年から40年にかけて書かれたエッセイですから、納得。
【ザマ】伊丹十三の映画はだいたい観てるんだけれど。『マルサの女』が一番面白かった。
『タンポポ』はルイス・ブニュエルの『ブルジョワジーの密かな愉しみ』なんだよね。西部劇を下敷きに、シュールリアリストのブニュエルを持ってくるセンスはさすがだなと思う。
北野たけしも『みんなやってるか』『TAKESHIS'』でブニュエルをやっているけどその先駆けだろうね。
マダムが好きな伊丹十三映画は?
【マダム】私は幼い頃に土曜洋画劇場で流れてたのをなんとなく観てただけだったので、今一度観なくちゃならないなと感じています。
「タンポポ」ってすごく面白そうだなぁ、昔田舎で『タンポポラーメン』なんて看板みかけたものだけど、伊丹映画にあやかったのかな~。
湯河原の別荘で撮られた『お葬式』は、子供心にもかなりのインパクトがありましたね。
【ザマ】たしか『マルサの女』にもブランコが出てくるシーンがあったはず。伊丹十三はブランコが好きなのかな?
以前NHKで宮本信子の視点で伊丹十三が『お葬式』を撮るまでを描いたドラマを見たのだけれど、あの別荘もでてきた。凄くいいよね。
『お葬式』もよかったけれど断片的な記憶しかないな。もちろん高瀬春奈との濡れ場は覚えている(笑)。
死と対局にあるSEXを描くためには高瀬春奈の豊満なお尻は必要だったんだろうな。
『タンポポ』でも命を狙われているヤクザの役所広司で死とSEXを描いていたよ。
それも、なま卵の黄身が崩れないように、口移し合うんだった。これもかなり象徴的だな。
【O女史】わぁ、電車の中では観れない(笑)。それにこの役所広司、マダムの旦那に似てるね。
【マダム】私も一瞬、うちの人かと思った(笑)。
【ザマ】先日観た『海街diary』では長澤まさみのSEXシーンではじまり、風吹ジュンの葬式で終わるのですが、映画において死とSEXは重要なテーマだね。
『お葬式』の高瀬春奈との濡れ場も。
【マダム】山崎努と高瀬春奈の濡れ場シーン懐かしい。
そうそうこれね!土曜の夜これを親と観てしまう気まずさ!
さっきまで、「カトちゃんケンちゃんご機嫌テレビ」を観ていた無邪気な時間帯に戻りたい!と焦りながらも身動きが出来ない子供の時分。
一瞬話逸れますけど、武田鉄矢が、人を殺めてしまう少年少女の事件に一言持ってて。
曰く、
「酒鬼薔薇は、私は一時期メチャクチャ調べたことがあるんですよ。あの子が捕まった後の動向とか。酒鬼薔薇という少年犯罪者は性的な目覚めが凄い遅いんですよ、心理学の用語でいうとエロスの登場が遅いんです。
エロスとの遭遇が遅い子はタナトスに惹かれるんですよ。タナトスとは「死」です。
エロスが訪れないとタナトスに魅了されて、「死」の方に寄って行くんですよ。
これは人間の命の一つの在り方です。」
この説自体はフロイトらしいけど、お茶の間の主婦層に、息子がエロ本持ってなかったら危ないよ!と警鐘を鳴らした先生は偉大。
【ザマ】フロイトは何にでも性に結びつけるからな〜。
しかし人はSEXと死が大好きなんだよね。
広告の中にもSEXはモチロンだけれど、同様に死をイメージさせるアイコンを入れだけで注目率が上がると言う。
【マダム】『お葬式』の濡れ場シーンに戻りますけど、高瀬春奈が怒りながらストッキングを脱ぐのが凄いインパクトあった、今なら理解出来ますが(笑)、感情も肉体も、実にぷりぷりしてますね(笑)!
セックスも終局的にはオルガスムスによって『生まれ変わる』、
場合によっては『意識上の死』を経験出来るわけですが、そう思うのは女性だからなのかしら。
広告の中の『死』、気になります。
【ザマ】調べたら 解説していた。
【マダム】わかりやすい解説、見つけて頂いてありがとうございます。
この方が最後で触れてる『銀河鉄道の夜』はこれでしょうね。
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音楽が細野晴臣。
【ザマ】それそれ、そう音楽は細野晴臣。
観てないんだよね。
「SEXとは小さな死である」とジョルジュ・バタイユが言っていた。
【マダム】バタイユ先生が既にご指摘済みでしたね。
よく、「女は男の7倍気持ちがいい」なんて俗説がありますが、その数値的定義はおいといて、エクスタシーにおける女性の極みというのはこれはもう、「男の人にはわからないの、可哀相…」という憐れみを含むものでもあり、
しかしながら、男性なしでは到底到達し得ない完全なる異境なのであります。
その点で、どんなに男尊女卑だフェミニズムだと言ったところで、
「アンタ、アレ知らないでしょ」となる。
【ザマ】男の死のシミュレーションは女性の7分の一か。小さな死だね。
小さい言うな💢
【マダム】小さい響いてますね(笑)。
男のエクスタシーなんて蟻みたいなもんじゃないですか?きっと。
さて、死もセックスも現代社会における禁忌であるという原理原則に則ったうえで、我らが伊丹十三先生は、著書「問い詰めたれたパパとママの本」で、なんと解釈しているかというと。
「赤チャンハドコカラヤッテクルノ?」という自身の子供の疑問に答えるに当たって伊丹十三は、「その問いに対する解はしばし待っとれ」と残し、一路デンマークへ飛んだのです。
【ザマ】エロティシズムが自我の崩壊による「死のシミュレーション活動」だというのは面白いよね。
バタイユの『眼球譚』読んだとき、この過激さはアンチクライストとしての過激さかと思っていたが、死のシミュレーショと言うので納得が行く。
ギヨーム・アポリネールの書いた『一万一千本の鞭』
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【マダム】「一万一千本の鞭」、初めて聞きました。非常にソドミーですね。
【ザマ】やはり最高のエクスタシーは死なのだろう。だから人は死に惹かれてしまうのだ。
【マダム】お酒飲んで酔っ払って知らない人と仲良くなってたり、駅のホームで伸びてるのもある種エロティシズムの顕れですかね(笑)。
皆いかに自我を崩壊させたがってるっていう。
【ザマ】そう思うと『ベニスに死す』のラストシーンと言い、マーラーの音楽と言い。
あれはエクスタシーを描いていたのだなと思えてきた。
【マダム】『ベニスに死す』も『ルードヴィヒ』もエクスタシーの追求ですよね。成れの果てというか。
特に『ベニスに死す』では初老の男性と、海から上がってくるヴィーナスさながらのピッチピチの美青年、
ルードヴィヒに関しても、夜毎美青年達との祝宴に対し、病気と放埓でぶくぶくと無様に太っていく狂王…
美と醜悪の共存、または若さと死の対比によって、その高みを際立たせているように感じます。
【マダム】ああ、そうそう(笑)。
伊丹十三はデンマークの小学校に行くんです、
そうすると、小学校3年生位のクラスで先生が絵本を見せてやってる。
そこには全裸の男女が描かれていて、おちんちんやおまんまん、毛までクルクルっと描かれていて、
「男の人と女の人はこうしてまぐわいます、これをセックスと言います」
と始まるという。
ここで、子供達は自分らがどのようにして誕生したのかを知り、そしてそれは同時にオ父サンオ母サンの権威の失墜でもあるわけです…
なんて続くんですが、デンマークの子供達は先生を先生とよぶのではなく、
「イレーネ!」
「ねぇ、イレーネったらぁ!」
と、名前で呼ぶ。
この先生や親である前に、一人の人間であるという意識のされ方もまた、目から鱗であった、
みたいな。
私達の世代は既にこの手の所謂まっとうな性教育は学校で受けてきましたが、問題は家庭だと蓋しちゃうよね、っていう。
かつて、「お葬式」が土曜ゴールデン洋画劇場で放映されて家族全員でそれを観る、
ドリフでカトちゃんが
「ちょっとだけヨォ〜」とステージでピンクのライトに照らされるととっても可笑しいのに、どうして大人の映画は一緒に観ると気まずいのか。
そんなところから少しずつ性を意識し始める、これもひとつのパラダイムとしての、正しい在り方だったのだなぁと。