人工知能は踊らない
もうすぐ5歳になる娘がボリウッドダンスにAddict。
あの煌びやかな衣装、セットの宮殿具合、ダンス、そして美女、勿論音階や歌の響きそのものもたまらない様子。
アーチャーアーチャーアーチャーチャーチャー
人生讃歌はインナーゴッドの顕現
ボリウッドでDigっていったらロシアのダンスチームが素晴らしい
youtu.be振付が最高!!
一方こちらはタイトル凄い「ゴアへの道標」、
イシスウィングダンス
踊るは元シャキーラの先生?
音も素晴らしい、ヒプノティックフィルム
そしてスペシャルトライバルダンス
ンンン〜、Goddess!
AIがアート領域をも奪うと言われつつある昨今、
人工知能が創るアートに人間はかなわない?
courrier.jp(有料会員ではないので、結論不明)
我々が向かうべき先は、よりフィジカルを極める/肉体を楽しむということではないだろうか。
身体という物理のシステム/有限のハードウェア(しかもデフォルトは旧式だが、運動や食事から始まり、鍛錬といったプログラムによってアップデートは可能である)をもって、どこまでいけるか。
多分フェスティバルでWaves搭載のMacがフルオートDJをする日もそう遠くない。
ただ祝祭という本質的なコンセプトを持つパーティやレイブでは、司祭=DJがいないことにはステージが成り立たない。
そしてそれはVR環境下で行われるパーティやフェスにおいても、同じ価値観をトレースするだろう、
司祭がいて舞姫がいる、
民は踊る。
AIが芸術を奪うという思索はテクノフォビアのひとつに違いないが、
特に
「踊る」という行為は、原初的運動であるからにして、
素晴らしい絵や文や音楽を創作するという行為以前に、
人間であるなら誰しもが「踊れる」のだ。
言い換えるならロボットはダンスをしない、永久に。
いや、もっと言うなら、
ロボットはダンスを欲さない。
勿論テクノロジーの進化により、上手に踊れるダンスロボットの誕生は可能だろう。
だが我々が踊ることによって得ている/得たいと思う解放感や一体感、満足を、果たしてロボットも同じように欲するだろうか?
他方、そんなロボットを開発する価値があるだろうか。
ビジネスの観点でいったらまずニーズはないはずだ。
さらに重ねて、プロの領域で言ったら、
「我々は神のごとく美しく踊る、自分と同じ人間が見たい」
のだ。
神性を見出すことに、アートにおける価値の一つがある。
「より人類に近しいAI」開発の道のりにおいて、人間の感情処理や神経系統、ホルモン分泌の研究もされていくだろうが、
我々人間が踊り続ける限り、
AIが芸術を乗っ取ることはないと、私は考える。
ダンスこそは、人類に残された最後の聖域なのだ。