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ヒデとマダムの問わず語り 〜好きにさせてよ〜

とあるアンダーグラウンドなバーのオーナー「ザマさん(ヒデ)」と70年代生まれの通称「マダム」が、アート中心に好き勝手語るバーチャルサロンです。よろしくどうぞ。

ろくでなし子氏に見る英国パンクスピリッツ

パンク

 


アレをああしてこうしよう、という所業がけしからん!ということで当局に引っ立てられ、
時の人?となった「ろくでなし子」さんがこの度結婚されたということで、
改めてインタビューを読んでみた。

彼女の信念や熱き創作活動の火種となるものについてはこの記事にまとめられているのでここで言及はしないが、

一つのパンクスピリッツの現れだと思った次第。
で、結婚相手の方はというと、The Waterboysのマイク・スコットというわけで、
世界中に報道された「日本に何やらけしからんオナゴがいる」ニュースをして彼女を知り、
「オレは断固支援する!」→結婚、と相成ったそうだ。イイじゃん。
翻ってイギリスというのはパンク発祥の地であり、
The Waterboys自体も当初はNYパンクの影響を受けたスタイルであったそうだ(Wiki)。

イギリスでパンクというとここで述べる間でもなく優れたバンドが沢山出てくるのだが、
パンクスピリッツのアーティストというと私の脳裏に一人のアーティストが浮かび上がる、
その名は、「オーブリー・ビアズレー」。

 f:id:MdmX:20161202092420j:image

 7歳にして結核。独学ながらも絵筆を握り始め、その芸術性は高く評価された。

ヨーロッパ最高の画家、エドワード・バーン=ジョーンズをもってして、

「今まで誰かに芸術家を志せと言ったことはなかったが、君こそは相応しい。
画家になるべきである」

と、その病床において言わしめた男。

 わずか25歳という若さで病死してしまうが、その生涯はスキャンダルと病に冒された、短い一生であった。まさにデカダンスの顕現。
 ビアズリーの特徴と言えばあくまで白と黒、モダンというにはあまりにもエロティックであり、扇情的。

線と面が生み出す禁忌の領域は、今見ても相当のインパクトである。

 お気づきの方もいるかもしれないが、「パタリロ!」の作者魔夜峰央氏なども、
ビアズリーの影響を受けている。
 ビアズリーは挿絵画家として世を席巻し、ポスターなども多く手掛けたのだが、
今でいうグラフィック・アーティストの最初の走りなのだ。
 
 日本の美術にもかなり影響を受けたとされ、オスカー・ワイルド著『サロメ
(童話「幸福な王子」などを書いた作家です。最後ツバメに両目持ってかれちゃっても尚、幸福だという、アレ)
(『サロメ』は、1世紀頃の古代パレスチナに実在したとされる姫。
ベリーダンスの発祥は恐らく彼女ではないだろうか?詳しくは新約聖書を参照されたい。
サロメの舞踏舞台があれば素晴らしい、
世界屈指の美しい舞姫に剣を持たせて、 預言者ヨカナーンには若き才能ある日本人の舞踏家を。
 第一幕のBGMはUNDERWORDの'Santiago Cuatro'。
ノンビートのオリエンタルな雰囲気は、預言者ヨカナーンサロメの出逢いにぴったりだろう・・・)


の挿絵では、そのジャポニズムの美しい解釈を見て取ることが出来る。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/サロメ_(ヘロディアの娘)

 ビアズリーの描くその絵は直接的・歪曲的な表現に関わらず、発禁になったものも多い。

やり過ぎてもはやこれギャグだよね、と思うものさえある。
 
 セクシャル、グロテスク、スキャンダラス。
それを19世紀末のロンドンでやってたんである。喀血しながら。
しかもアーティストとしての活動期間はたったの6年。

 醜悪さに一瞬目を背けたくなる、しかし一度見たらそのインパクトは忘れられない。

"it" を生み出した、パンク精神のその叫ぶ様を、
隠されても否定されても、それでも生み出し続けてしまうエネルギーを、
どうにも看過は出来ないのである。
 
 後年ビアズリーは姉と同棲し、そのことについても醜聞がつきまとった。
自分の信念を理解し、活動と生活を支えてくれるパートナーの存在というのは非常に大切であるからして、
エクスプローラー、アーティスト同士の婚姻というのは大変喜ばしいことだと思うのである。
 稀有なパートナーと二人三脚、これからもパンクスピリッツを炸裂させていって欲しいと思う。

 尚、個人的に思うのは、ろくでなし子さんには是非ヴィヴィアン・ウエストウッドを着て頂きたいということ。
 金髪のボブヘアーなどにしてヴィヴィアンを着れば、そのアヴァンギャルド・スタイルは一層強固なものになるだろう。
大英帝国が誇るパンクの女王・ヴィヴィアン・ウェストウッドも、
「ファッションは支えになる」と言っている。

 19世紀末のアール・ヌーヴォーにおいて最も独創的かつスキャンダラスな存在だったビアズリー

いつの世も、はみ出し者が、新しい扉を開いていくのである。