アンダーグラウンドは何処に
この会場にいたことを誇りに思わない人は恐らく一人もいないだろうーレインボー2000
アンダーグラウンドはもう存在できない
【マダム】昨晩亭主と、80年代ディスコブームを起点とした、EDM全盛期とも呼べる現在までのパーティシーンについて話してまして。
会話を進めて行くうちに私個人の帰着として、
「アンダーグラウンドはもはや存在が出来ない」
という結論に至ってしまいました。
存在しない、というより、存在出来ない。
若さと引き換えに積んで来た経験
亭主の言い分;今の若い世代は最先端で何を見ているのだろうか・もしくはこれからまだ「あの狂乱と情熱の時代」「ああいったムーブメント」=今世の中で自分達が一番楽しんでるという、傲慢にも近い自負を携えて没頭出来るような、そんなムーブメントが再び訪れる日は来るのだろうか、
それが気になると言ってまして。
そして、もしそんな展開やコンテンツやアーティスト、波が来た暁には敏感に受け取れる自分でいたいとも。
亭主齢46を越えて仕事仕事の毎日、恐らくそれはある種の加齢によるセンチメンタリズムではないかと私は言いました、第一線を退いたオヤジの呟き。赤提灯が見えるわよ、アナタ。
でも、
以前にもお話したように、
ザマさんにとってのレコード屋におけるトーキングヘッズとの邂逅のような、
sukinisaseteyo.hatenablog.com
誰しもが持ち得る、音楽や芸術やムーブメントによる「…!!」
そう、あのアハ体験(古い)。
亭主続けます、
年も時代も感覚も「あの頃」とは変わっている今、再びそういった感動を得る日は本当に来るのかと。
自らが欲し続ける限り、内的体験の為の門戸は開き続けるつもりだ、その心積もりは常にしているがー
ネットによる情報共有と疑似体験は「アンダー」を「オーバー」に変換してしまう
やっぱりインターネットの誕生ですよね。
インターネットが全てを変換した。
この前提を踏まえて私は、
ネットが個人の嗜好を細分化し続ける以上、またはグリッドから意識的にドロップアウトしない限りは、「あの感覚」の再訪は否=虚しい希望かもしれない、と考えるのです。
fbを見れば世界中のあらゆる情報が目の前を流れて行きます、そこにはキャプションが付き、共有した人の感情が次々と刻印されていく。それを見ることは疑似体験に近い。
そしてそれは「現場感」が伴わないゆえに均一化された情報として、実際に経験する手前で脳に知覚されてしまう。
今後はVRやMRによって現実と仮想の境目がより曖昧になっていく筈で、「体験」そのものの再定義がなされていくでしょう。
「現場に出る必要はあるね」
そう、それは大前提。
ポケベルで連絡網を回し、東京なのに日本人が殆どいないような、そんなアンダーグラウンドなパーティーを毎週末探しては出かけてた
90年代のリアルパーティーピープルレペゼンTokyo Undergrowndの逸話は、亭主より7年遅れの私からすると、もはや神話のような耳触りを持っています。
ただ単に俺の目が節穴なのか
ディスコ、アシッドハウス、テクノ、トランスと来て、じゃあ次は?
時代の流れとともに、二次関数的に進化して来たダンスミュージックの歴史を思えば、そろそろ次のステージが見えてきても良いはずなのに、多分平行線のまま見えてきていない気がする、
それは俺が第一線から退いてるからか、ただ単にキャッチアップ出来ていないだけ=俺の目が節穴になってるだけなのか?
「…言いたくないけど、
もはや出尽くした、とか…?」
まさか、
でも或いは。
次々とネット上でデビューを果たしていく若手アーティスト達は、楽器もプログラミングも全部自分でやって、出来たらひょいっとネットにアップする。
EUエレクトロシーンに出て来る最近の新人アーティストとかちょっと緩いんですよ、メロウなアンビエントというか、斜陽ミュージック。
sukinisaseteyo.hatenablog.com
そこには欧州の疲弊が現れてるんじゃないかなと個人的には思ってるんですけどね。
「ハレ」のミュージックシーンとしてEDMがもてはやされている一方で(彼らは一晩にウン万ドルと稼ぎ、マドンナとコラボしセレブと崇められていきます)、
憂いを全面に出してるリアルな層がある。
(ある種の共通項として、彼らの殆どはアルバムジャケットに顔を出さない)
彼らと我々の間のリリース&キャッチはあっという間です、
ロンドンのアパートの一室で制作されたメロウな新曲がSoundCloudにアップロードされた次の瞬間には、日本にいる私がそれをiPhoneで聴けるわけですから。
インターネットは非常にインタラクティブな環境をもたらしましたが、同時にアンダーグラウンドがアンダーグラウンドたり得る理由を奪った。
ロンドンのボイラールーム、東京のドミューン …本質的なコンセプトはアンダーグラウンドだと思いますが、ネット上に構築された「場」のプレゼンス自体はオーバーグラウンド。
インターネットが存在する以上、もはやアンダーグラウンドはその動機すらなくなりつつあります。
そしてそれは、極めてフィジカルな「あの頃の、あの爆発的な体験」を知っている大人達にとっては、一抹の寂しさを伴う「現在地」なのだろうなぁ、
と思ったのでした。
きっと今もどこかにある桃源郷を信じて
【ザマ】そのような話は僕もお客様とします。僕個人は、アンダーグランドも心踊るムーブメントも存在していると思っています。
ただそれは、情報が容易く手に入れられることで1人1人が非常にマニアックになっている為に、大きなムーブメントにならなくっているのではないでしょうか?
僕自身新しい音楽やアートなどに触れる努力をおこたっているので、これはあくまで希望的観測なのですけれど。
演歌しか聴かないオヤジがロックの事がまるでわからないのと同じように。レディへあたりで止まっている僕には今の事情は全くわかりません。
しかし、最先端の若者達はきっと、どこか地下深くで、もう僕には理解不能な位な素敵なものを密かに作っていると信じたいですね。
【マダム】もしかしたら昨夜はそのザマさんの最後の一言を掛けるべきだったのかもしれない…ありがとうございます、ザマさん。
今もきっとどこかに…
例え「幻想」と呼ばれたとしても、求め信じるロマンは失くさずに生きていきたいものですね。
終わりに
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亭主も私も各々行っていた96年のレインボー2000。動画お借りしました、アップされた小張様に感謝申し上げます。
当時18か19、完全に山をなめた軽装で行き、小雨降る中ドラムンベースでわちゃわちゃになった後、案の定夜には発熱。
ハイランドの屋根付き通路にダンボールを敷いてガクブル震えながら、朦朧とした意識の中で遠く響いて来るアンダーワールドを噛み締めていたのは不覚にして笑える思い出。
明け方濡れた芝生を踏みしめてフロアに出て行った先は、朝靄の中を漂う細野アンビエントだった。
誰かが貸してくれた赤いヤッケ。
テントから出て来た知らないお兄さんが歯抜け笑顔で「オハヨ〜」。
食堂ではギターを弾いてるアーティストがいて、自発的・自然発生的なステージが出来ていく。
泥だらけになって肩を組み、通り過ぎていく人達の笑顔、笑顔、笑顔。
出店の軒先、瓶詰めで並べられている✖️✖️✖️。