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ヒデとマダムの問わず語り 〜好きにさせてよ〜

とあるアンダーグラウンドなバーのオーナー「ザマさん(ヒデ)」と70年代生まれの通称「マダム」が、アート中心に好き勝手語るバーチャルサロンです。よろしくどうぞ。

雅楽版「君が代」の比類なき美しさ

youtu.be

これを初めて聴いたのは、数年前の年の瀬だったかと思う。元旦に君が代を聴きたいと思い、youtubeをパトロールしていた際に知った。

以降、折に触れて聴く一曲である。


雅楽は近年心惹かれている音楽の一つだが、まず国内にアーティストが殆どいない。知っている限りではご存知東儀氏と天地雅楽という名のバンドの2組だけだ。
(ちなみに私は天地雅楽の一曲を目覚ましの際の音楽にしている)


そもそも雅楽が宮廷音楽という位置づけに立脚している以上、宮内庁楽部が連綿と続いて行けば問題はないのではあろうが、まずはこの「君が代」雅楽版を聴いてみて欲しい。


この押し付けがましくないドラマティックさは雅楽だからこそ成し得るもの。


遥か天上から響いてくるかのような笙の音は、子供達が「天使の梯子」と呼ぶ、あの雲間を抜けて地上に放たれる一条の光のようで、その神々しい響きに、なかんずく涙すら滲むようである。



これほど荘厳な国歌があろうか?



これを聴いて心が震えないのだとしたら、日本人としての大和DNAが錆び付いているのではないかと思うほどである。


森友学園問題でお上とメディアはいよよ騒がしさを増しているが、他方、右か左かというずっと以前に、自国を愛することの尊さを、私たちはいつから意識しなくなったのか。


テレビの向こうでマスコミに揉みくちゃにされながら、日本がこのままで良い訳はないのですと籠池氏は叫んでいた、

彼と彼の幼児学園における思想的教育の極みは、そのファナティックさゆえに一般感覚で言えば唾棄すべき事案だが、個々人が「欧米主義的スタンドアローン化」してきた我が国において、憂国の士がその激烈な手法で独走して来た所以もまた、想像に難くないのであるー


さて君が代

幼少期から高校、大学生位までは、なんとつまらない国歌なんだろう、この地味さはなんだ、と常々思っていた。
アメイジンググレースとかいいよね〜華やかで。ゴスペル感もあるし、という感覚。



だがしかし、君が代の初期値=本来あるべき姿は「雅楽」だったのである。


これでなくては我々日本人の知りたる美というものは、何一つ伝えられないし、伝わらないのだ。


そういうわけで時々私は雅楽版「君が代」を聴いて精神をリブートする。そしてこの感性がインストールされた民族であることを、誇りに思うのである。