ヒデとマダムの問わず語り 〜好きにさせてよ〜

とあるアンダーグラウンドなバーのオーナー「ザマさん(ヒデ)」と70年代生まれの通称「マダム」が、アート中心に好き勝手語るバーチャルサロンです。よろしくどうぞ。

人工知能は踊らない

 

 

もうすぐ5歳になる娘がボリウッドダンスにAddict。
あの煌びやかな衣装、セットの宮殿具合、ダンス、そして美女、勿論音階や歌の響きそのものもたまらない様子。

 

アーチャーアーチャーアーチャーチャーチャー

 

 

youtu.be

人生讃歌はインナーゴッドの顕現

 

 

ボリウッドでDigっていったらロシアのダンスチームが素晴らしい

youtu.be振付が最高!!

 

 

 

一方こちらはタイトル凄い「ゴアへの道標」、

イシスウィングダンス

踊るは元シャキーラの先生?

 

音も素晴らしい、ヒプノティックフィルム

youtu.be

 

 

 

そしてスペシャルトライバルダンス

youtu.be

 

 

 

ンンン〜、Goddess!

 

 

 

AIがアート領域をも奪うと言われつつある昨今、

人工知能が創るアートに人間はかなわない?

courrier.jp(有料会員ではないので、結論不明)

 

 

我々が向かうべき先は、よりフィジカルを極める/肉体を楽しむということではないだろうか。

 

 

身体という物理のシステム/有限のハードウェア(しかもデフォルトは旧式だが、運動や食事から始まり、鍛錬といったプログラムによってアップデートは可能である)をもって、どこまでいけるか。

 

 

 

 

多分フェスティバルでWaves搭載のMacがフルオートDJをする日もそう遠くない。

 

 

ただ祝祭という本質的なコンセプトを持つパーティやレイブでは、司祭=DJがいないことにはステージが成り立たない。

 

そしてそれはVR環境下で行われるパーティやフェスにおいても、同じ価値観をトレースするだろう、

 

司祭がいて舞姫がいる、

 

民は踊る。

 

 

 

 

AIが芸術を奪うという思索はテクノフォビアのひとつに違いないが、

 

 

特に

「踊る」という行為は、原初的運動であるからにして、

 

 

素晴らしい絵や文や音楽を創作するという行為以前に、

 

人間であるなら誰しもが「踊れる」のだ。

 

 

言い換えるならロボットはダンスをしない、永久に。

いや、もっと言うなら、

ロボットはダンスを欲さない。

 

 

勿論テクノロジーの進化により、上手に踊れるダンスロボットの誕生は可能だろう。

 

だが我々が踊ることによって得ている/得たいと思う解放感や一体感、満足を、果たしてロボットも同じように欲するだろうか?

 

他方、そんなロボットを開発する価値があるだろうか。

ビジネスの観点でいったらまずニーズはないはずだ。

 

さらに重ねて、プロの領域で言ったら、

 

「我々は神のごとく美しく踊る、自分と同じ人間が見たい」

 

のだ。

 

 

神性を見出すことに、アートにおける価値の一つがある。

 

 

「より人類に近しいAI」開発の道のりにおいて、人間の感情処理や神経系統、ホルモン分泌の研究もされていくだろうが、

 

 

我々人間が踊り続ける限り、

AIが芸術を乗っ取ることはないと、私は考える。

 

 

 

ダンスこそは、人類に残された最後の聖域なのだ。

 

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シンギュラリティ




覆される



進化論





螺旋の再設定によって解き放たれる



神話のエビデンス






加速度的に確定される秩序




我々は

臨界点で時を失う







全てのテクノロジーは


それ自体の意志として


ヴィジョンに合一する







意識とは何か




あなたとは何か





私とは




誰なのか





今、全ての問いを携えて




新たなる事象の地平を




見定める





スタンドアローン達がリンクを始める


特異点の夜明け






同期し、結合し、共有する





解き明かされるバグ、


駆逐されるウィルス






今、始まる新世紀









宇宙の福音書





シンギュラリティ





詩・マダム
Photo・ヒデ

I Love Tech

https://www.google.co.jp/amp/s/www.businessinsider.jp/amp/post-33592


トヨタと米半導体メーカーaka人工知能開発を業界トップで牽引するNVIDIA(エヌヴィディア)が、AI搭載自動車開発の協業を発表した。


日本におけるAI研究開発や事業展開は完全に出遅れているので(それはこの国が「ガラパコス」と呼ばれる性質を持つ所以であり、教育分野改革の遅延、政治・事業会社のアンテナの方向性全てに要因がある)、


これはトヨタが国産自動車メーカーのみならず、ひとまず一帝国を築き始めているソフトバンクに対しても、いい先手を打ったと考えて良いだろう。ソフトバンクとは早晩何らかの形で手を組むだろうけど。



トヨタは毎年1,000万台のクルマを販売している、
10年で10,000台。



1台10,000キロメートル走ると仮定すると、直近10年間で販売した車から毎年1兆キロメートルの走行データが集まるー。


今回トヨタが新たに設立したTRI(トヨタ・リサーチ・インスティテュート)の最高責任者・ギル・プラットは将来、世界中のすべての車がネットワークにつながると考えている、


ネットワークに繋がった全てのクルマ=ハードウェアからあらゆる情報が取得され、蓄積されたそれは、



ビッグデータ


に仕上がる。



ビッグデータ×人工知能におけるデフォルトプラットフォームの構築が、物理的移動手段の領域において、


いよいよ始まった。


トヨタが自社AIのエージェントをコンセプト・i=愛、また、その運転支援システムを「ガーディアン」と名付けているのもなかなか腑に落ちるセンス。
http://newsroom.toyota.co.jp/en/detail/14644735


一方、日本の半導体業界立役者の一人と言えた東芝、今年に入って半導体事業を分社化。




完全に終わってる。



我が家のガーディアンゴッドマザーは東芝株のことを「ああいうゲテモノには手を出さないの」と言っていたけれど、ここに来ていよいよその質極まれり。




《メモ》テクノロジー会社の頭脳はもはやアメリカではなく、中華やインド。
さて日本はどうなる。

物理や光、あとは原子力の後始末。我が国に託された使命ではないでしょうか。

CERNレベルの組織を作らねばならないのでは。





レイ・カールツワイルをアマゾンでオーダー。

Unlimited Darkness

四ツ辻に立つ


四角い棺桶、空を貫いて




盲いた者たち 解すら問わず





深い呼吸をする為に


開ける窓すらなく




そして今日も


陽は翳りゆく









救いは無い






救いは






外には無い







さすらうことすら出来ない不惑の魂よ





自らの胸を


嘆きの壁として






打ち立ててみよ





打ち立ててみよ





そして、



葬り去れ







Photo by ザマ
詩 マダム

天使の囁き


1994年か5年、天使に出逢ったことがある。




パーティの朝帰り、レストランでクラブハウスサンドウィッチをパクついてた、付け合わせのフレンチフライは勿論極細。


レストランの大きな窓からは朝陽が差し込んでいて、始まったばかりの日曜日、これからベッドに潜り込もうという身には少々後ろめたい眩しさだった。




天使は言った、



「知ってるかいベイビー。



人間は本当は、七色の光に包まれてるんだ、



みんな忘れちゃってるけど、

本当はそうなんだ。




全員この世で、それを思い出す旅をしてるのさ」



猿にiPhoneを持たせてはいけない


昼休みどきの中華料理屋で、向かい合わせになっているのに一言も喋らず、ただひたすら手持ちのデバイスに没頭している2人のサラリーマン


寝ている子供を抱いた奥さんが話しかけているのに上の空の亭主、だらしなく脱ぎかけたサンダルを履き直しもせず、せわしなく指を動かしているのは携帯ゲーム


刻々と変わりゆく夕暮れに気付きもせず、各々の携帯を見ながら合わせているのは歩調のみ、公園でデートしている筈の恋人たち



電車で一様に携帯を見ている様が異様なのは

もしかしたら

「見たい」「やりたい」欲望が制御出来てないのがダダ漏れだから?



欲望が制御出来ないのは動物




猿にiPhoneを持たせてはいけない

猿にテクノロジーは必要ない






私自身は


欲望を制御しようと試みる猿

アンダーグラウンドは何処に


この会場にいたことを誇りに思わない人は恐らく一人もいないだろうーレインボー2000

アンダーグラウンドはもう存在できない


【マダム】昨晩亭主と、80年代ディスコブームを起点とした、EDM全盛期とも呼べる現在までのパーティシーンについて話してまして。


会話を進めて行くうちに私個人の帰着として、


アンダーグラウンドはもはや存在が出来ない」


という結論に至ってしまいました。



存在しない、というより、存在出来ない

若さと引き換えに積んで来た経験

亭主の言い分;今の若い世代は最先端で何を見ているのだろうか・もしくはこれからまだ「あの狂乱と情熱の時代」「ああいったムーブメント」=今世の中で自分達が一番楽しんでるという、傲慢にも近い自負を携えて没頭出来るような、そんなムーブメントが再び訪れる日は来るのだろうか、

それが気になると言ってまして。


そして、もしそんな展開やコンテンツやアーティスト、波が来た暁には敏感に受け取れる自分でいたいとも。

亭主齢46を越えて仕事仕事の毎日、恐らくそれはある種の加齢によるセンチメンタリズムではないかと私は言いました、第一線を退いたオヤジの呟き。赤提灯が見えるわよ、アナタ。


でも、

以前にもお話したように、
ザマさんにとってのレコード屋におけるトーキングヘッズとの邂逅のような、
sukinisaseteyo.hatenablog.com

誰しもが持ち得る、音楽や芸術やムーブメントによる「…!!」

そう、あのアハ体験(古い)。


亭主続けます、
年も時代も感覚も「あの頃」とは変わっている今、再びそういった感動を得る日は本当に来るのかと。
自らが欲し続ける限り、内的体験の為の門戸は開き続けるつもりだ、その心積もりは常にしているがー


ネットによる情報共有と疑似体験は「アンダー」を「オーバー」に変換してしまう

やっぱりインターネットの誕生ですよね。
インターネットが全てを変換した。

この前提を踏まえて私は、
ネットが個人の嗜好を細分化し続ける以上、またはグリッドから意識的にドロップアウトしない限りは、「あの感覚」の再訪は否=虚しい希望かもしれない、と考えるのです。



fbを見れば世界中のあらゆる情報が目の前を流れて行きます、そこにはキャプションが付き、共有した人の感情が次々と刻印されていく。それを見ることは疑似体験に近い。

そしてそれは「現場感」が伴わないゆえに均一化された情報として、実際に経験する手前で脳に知覚されてしまう。

今後はVRやMRによって現実と仮想の境目がより曖昧になっていく筈で、「体験」そのものの再定義がなされていくでしょう。

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