殿下復習
久しぶりにYouTubeで殿下のヴィデオを観てしまった為、催した気分を幾ばくか記しておきたい。
Prince & The New Power Generation - Gett Off (Official Music Video)
"Get Off"
まずスタイリングの妙。
全身オールブラックかつターバン遣いが素晴らしい。
耳を隠しトップからカーリーヘアを出してリーゼントのよう、殿下特有コンパクト体型を基にしたミニマムな砂時計シルエットが完成。
長めの襟足がターバンで抑えられることによって毛先が頸筋に影を作っているのが昨今流行りのタッセルのように見え、ボートネックのトップスとバランスが絶妙。
さてヴィデオ。鍛えられたダンサーのTバック尻が映り、これは去勢された現MTV(既にMTVがレガシー、、)時代には貴重なエロス、
メインで踊る双子的踊り子はベビードール的なドレスだが無論ロリータな解釈を寄せ付けない。キレのあるダンスと挑発的な横顔が視線を奪う、がさらにそれを上回って当然なパフォーマンスと存在感の殿下。
当然カワイイだけじゃなくてダンスもスタイルも超一級品。
中盤、時代劇の悪い殿様と町娘の帯解き場面も圧巻、我々日本人にとってはDNAが反応するところ笑
演出的には恐らく双子間で殿下の取り合いになるという展開なのだろうが、脱がされなかった片割れのこの表情たるや!
素晴らしくチャーミング。
また、肉厚な安心感をもたらしてくれるコーラスが、ビジュアル含めあらゆる側面で豪華な文鎮のようである。
決してお飾りに甘んじない、至高のコーラス。
一人だけパウダールームでリラックスしているような衣装も最高。
殿下のサド・マゾ気質両輪並行運転の塩梅というのは、これほどまでに持って生まれた才能/センス・外見・社会的成功に「犯された」アーティストは後にも先にもいないだろうという点である。
アーティスト「Prince」を成り立たせる全てのエッセンスを統べ、またそれに犯されてもいた一人の男。
かくして殿下のソロギターパートは物語としてのオーガニズム的ピークとなり、全てのインポテンツは今一度このヴィデオを見るが良かろうと改めて思うのであった。
孤高の魂、放出ここに極まれり。
拝啓キンタロー。様
たまたま付けたテレビが金スマ「芸能人社交ダンス部」だったのは本当に運が良かった、
わたくしは社交ダンスを踊るキンタロー。様のファンである。
このキメ顔がたまらない!
数ヶ月前にたまたまこの番組を観て釘付けになってしまった、
なんというディヴァイン、なんというパッション、なんというオリジナリティ!!
社交ダンス国際試合の最高峰という場面で突如として現れたダークホース、
欧州各国選手の凄過ぎるスキルの狭間にスパークするキンタロー。様の圧倒的なディヴァインスマイル。
これぞ天照大神の岩戸開きである。
フロアーに散り乱れる八頭身、抜群のスタイル、抜け目ないリズム、そしてアッパーな技量、煌びやかな肢体。
それらを差し引いても尚、キンタロー。様の存在感たるや。
踊りも凄いが面が素晴らしい。
かつてこれほどまでに面で魅せるダンサーがいただろうか?
踊りとは本来身体性をどこまで極めるかの芸術/競技であるのだろうが、キンタロー。様だけは、踊りの凄さと同等に共存する稀有なインパクトがあり、それが彼女のお顔=「面」なのである。
ダンスが素晴らしいのは言わずもがななのだが、バッチリメイクを施したニッカリスマイルでビチビチ踊る様はともかく圧巻、
もう太古の女神の様相なのである。
恐らく審査員全員持って行かれてるはず。
他国の女性選手達と言ったら勿論抜群に美しく、華麗でスタイルもとびきり上等。
なのに、キンタロー。様のディヴァインスマイルがカットインして来たらもう駄目なのだ、時空が違うのだ。
と、いうわけで、女神のファセットここにありけり。
キンタロー。様の学生時代のお師匠という先生のお導きも実にマーヴェラスだった、
魂の軌跡を見せてくれるいいテレビジョンでした、次回も乞いますよ期待。
人工知能は踊らない
もうすぐ5歳になる娘がボリウッドダンスにAddict。
あの煌びやかな衣装、セットの宮殿具合、ダンス、そして美女、勿論音階や歌の響きそのものもたまらない様子。
アーチャーアーチャーアーチャーチャーチャー
人生讃歌はインナーゴッドの顕現
ボリウッドでDigっていったらロシアのダンスチームが素晴らしい
youtu.be振付が最高!!
一方こちらはタイトル凄い「ゴアへの道標」、
イシスウィングダンス
踊るは元シャキーラの先生?
音も素晴らしい、ヒプノティックフィルム
そしてスペシャルトライバルダンス
ンンン〜、Goddess!
AIがアート領域をも奪うと言われつつある昨今、
人工知能が創るアートに人間はかなわない?
courrier.jp(有料会員ではないので、結論不明)
我々が向かうべき先は、よりフィジカルを極める/肉体を楽しむということではないだろうか。
身体という物理のシステム/有限のハードウェア(しかもデフォルトは旧式だが、運動や食事から始まり、鍛錬といったプログラムによってアップデートは可能である)をもって、どこまでいけるか。
多分フェスティバルでWaves搭載のMacがフルオートDJをする日もそう遠くない。
ただ祝祭という本質的なコンセプトを持つパーティやレイブでは、司祭=DJがいないことにはステージが成り立たない。
そしてそれはVR環境下で行われるパーティやフェスにおいても、同じ価値観をトレースするだろう、
司祭がいて舞姫がいる、
民は踊る。
AIが芸術を奪うという思索はテクノフォビアのひとつに違いないが、
特に
「踊る」という行為は、原初的運動であるからにして、
素晴らしい絵や文や音楽を創作するという行為以前に、
人間であるなら誰しもが「踊れる」のだ。
言い換えるならロボットはダンスをしない、永久に。
いや、もっと言うなら、
ロボットはダンスを欲さない。
勿論テクノロジーの進化により、上手に踊れるダンスロボットの誕生は可能だろう。
だが我々が踊ることによって得ている/得たいと思う解放感や一体感、満足を、果たしてロボットも同じように欲するだろうか?
他方、そんなロボットを開発する価値があるだろうか。
ビジネスの観点でいったらまずニーズはないはずだ。
さらに重ねて、プロの領域で言ったら、
「我々は神のごとく美しく踊る、自分と同じ人間が見たい」
のだ。
神性を見出すことに、アートにおける価値の一つがある。
「より人類に近しいAI」開発の道のりにおいて、人間の感情処理や神経系統、ホルモン分泌の研究もされていくだろうが、
我々人間が踊り続ける限り、
AIが芸術を乗っ取ることはないと、私は考える。
ダンスこそは、人類に残された最後の聖域なのだ。
猿にiPhoneを持たせてはいけない
昼休みどきの中華料理屋で、向かい合わせになっているのに一言も喋らず、ただひたすら手持ちのデバイスに没頭している2人のサラリーマン
寝ている子供を抱いた奥さんが話しかけているのに上の空の亭主、だらしなく脱ぎかけたサンダルを履き直しもせず、せわしなく指を動かしているのは携帯ゲーム
刻々と変わりゆく夕暮れに気付きもせず、各々の携帯を見ながら合わせているのは歩調のみ、公園でデートしている筈の恋人たち
電車で一様に携帯を見ている様が異様なのは
もしかしたら
「見たい」「やりたい」欲望が制御出来てないのがダダ漏れだから?
欲望が制御出来ないのは動物
猿にiPhoneを持たせてはいけない
猿にテクノロジーは必要ない
私自身は
欲望を制御しようと試みる猿