ヒデとマダムの問わず語り 〜好きにさせてよ〜

とあるアンダーグラウンドなバーのオーナー「ザマさん(ヒデ)」と70年代生まれの通称「マダム」が、アート中心に好き勝手語るバーチャルサロンです。よろしくどうぞ。

エクスタシーの臨界点

仕事終わりに電話をすると、
亭主が「地上630mで会おう、待ってるよ」と言う。

ムスメを連れてスカイツリーを訪れているらしい。


バスを乗り継いで現地に向かう、

下町に聳え立つバベルの塔

東京タワーとは異なる趣の、異形の建築物。



チケットを買って展望フロアに向かう。



高所恐怖症の私は案の定脚がすくむし腰がひける、
『2,000円も払ってわざわざ怖い思いしに行くなんて、馬鹿みたい』。




若い頃鳶職だった亭主は、高所に対する恐怖心というのがあまりない。

厳密に言うとあるにはあるらしいのだが(「逆にいつも怖いな、危ねえな、って思ってなきゃダメなんだよ、
それが注意力だから、でなきゃ本当に落ちちまう」)、

恐怖心を飼い慣らすことが出来るということなんだろう、


「仕事だからな」



大きなガラス窓の向こうで、西の空が茜色に染まっていく、
地平にたなびく黒い雲が、山の稜線のようなシルエットを形作る。

眼下の建物に灯り始める光達が、
やがて暮れ行く都市の中で強さを増してきた。


「すごいよね、この光の一つ一つに、全部人の営みがあるなんてさ」

「考えると気がヘンになりそうだよね」

「今みんな一斉に夕飯作ってんだろうな」

「今この瞬間にも、殺人事件が起きてるかもしれない…」

呆れる亭主。

でも、そうなのだ。
この都市に生きる私達の営みは、沢山のニュースに囲まれていて。

人が産まれ人が死に、
愛し愛され、ご飯を食べて。

この、光の一つ一つが、営みのしるし。


亭主と高いビルディングや建築中のマンションといった大きな現場を通ると、
必ずと言っていいほどその現場の講釈が入るのには、いつも笑ってしまう(尋ねてないのに)。



どうして人は、高いところに行きたいのだろうか。

高所で震えるのは、エクスタシーの一種に違いない、と思う。
好きと嫌いに関わらず。




……鳶の現場?
大抵はどうしようもないのばっかだったよ、俺も含めてね。
行き場のない奴らの掃き溜めだよ。

皆んなその日暮らしでさ、目ェ真っ赤にした山谷のジジイとか、朝から酒臭えやつとか、
シャブ中もいたし、
昨日塀の中から出てきたのとかも普通。
当時の社長は指一本なかったしな(笑)。

そんなやつらがやってんだからなぁ、
まあ、なんかしらあっても(住宅の壁からゴミが出てきたとかさ、)
「あ〜、」って、俺なんかは思うだけなんだけどね。

でも、鳶の仕事って言うのは、別に単純作業なわけじゃなくてさ。

風の強い日もありゃまるで話になんない雨の日もあるけど、納期は決まってる。

だけど皆んなの共通項が一個だけあるんだよ、「とっとと終わらせて飲み行きてえ」(笑)。

だからいかに仕事早く切り上げるか、っていうのは現場の職長にかかってるんだよな。


ー若いのに職長だったわけでしょ、
よくそんなの束ねてたね。しかも腰までのロン毛。


うん。
でもまあ、指示が的確だと、若かろうが皆んな言うこと聞くんだよ、
「お、あいつの言う通りやっとくと、早く飲み行けるぞ」っていう(笑)。

やりとりする業者はゴマンといるし、
資材の運び方ひとつの間違えでも、へたすりゃ工期がドン詰まる。

だから全体の仕上がりを頭に入れて、
一日の作業のケツを意識して指示するんだ。

仕事出来る人ってのはやっぱいて、
そういう人はこっちが言わなくてもちゃあんとわかってるんだな。
そういう人がいるような現場だと、4時くらいにはもうその日の工程終わらせちゃってさ、
新米の現場監督に
「じゃ、あとよろしく!」なぁんつって手ェ振ってさ、
そんでその日の金遣って飲みに行っちゃうんだよ(笑)。


ーそして次の日はまた酒気帯び出勤か(笑)
それにしても酒気帯びで、よくあんなとこ登れること!


ははは、ま、落ちたらてめえの責任だからな。



……


亭主は嬉々として足元のスケルトンフロアーに立つと、iPhoneのカメラを遥か下のジオラマみたいな歩道に向けた、

気が遠くなりそうな、小さな分子の塊。

植栽に付けられたLED電球の列が、上から見ると歪んだ曼荼羅のように見える。


「どんなでかい構造物だって、鳶がいなきゃ建てらんねえのさ」



ーねぇ、若い頃に毎日そんな高いとこばっかり登ってたもんだから、
そんじょそこらの刺激じゃ、今更滅多に快感なんて感じないんでしょー





帰りの車の助手席で、ムスメは今にも寝落ちしそうだ、
頬にうっすらフレンチフライのケチャップをつけたまま。

iPhoneを私に差し出して亭主が言う、

「こないだ一人で山登りに行った時にさ、
いい曲みつけたんだよ。

J-WAVEの最後の曲あるじゃん、
あれが流れて一日の放送が終わって、
また次の日になるでしょ。

その一番最初の番組聞いてたんだ、朝。6時くらい。
中央道に乗っかってさ、調布あたりでかかって。」

「ホ、ホーン…?ホネ?HONNE...なんて読むのこれ…」

youtu.be


おお〜!カッコいい!!いいの見つけたね、


「そうそう、DJのマシューって奴が、こいつら日本に来てたらしくてさ、
観に行くのが楽しみで仕方ないってすごい興奮気味に話してたんだよね、
で、一曲目に流した曲がこれ」


これを、秋の朝靄の中、一人中央道BMかっ飛ばして聴いてたのか、
それ最高のセッティングじゃないの、


「でしょ?(笑)」




あんたって人は。




飼い慣らしたエクスタシーも、


セッティング次第ではいつだってドライブ出来る、
そういう意味で、

経験値は裏切らないのだ。




イギリスのユニット「HONNE(本音)」、
メロウなこちらもお勧め。
youtu.be