ラッセン再考 〜「退化の改新」〜
〜数日前〜
【O女史】テレビでラッセン出てました。
永野の影響でまた人気出たらしい、、、
【マダム】観なかった、「ラッセンは今!」的な?
【O女史】そだね。ラッセンの豪邸自慢とか。
【マダム】超絶バブル勝ち抜け組。
youtu.be
【マダム】動画、途中までしか観れてないけど、すごくシュール…
しかも中盤、一緒に踊らされるラッセン…w
ヤダw
【O女史】ラッセンて、どうかと思ってたけど。あの絵をスケッチから始めてキラキラ塗って、仕上げる。
凄い技術だとおもたラッセン自宅番組。
まあ、その後がね、バブルラッセンらしいけど、そうなれる要因の作品作ったことは認めたい。
画風は好み(私は好きではないけど)。
【ザマ】僕はラッセンの生き方はどうでもよく。ただ作品が好きではないだけです。
作家がバブルだろうとなんだろうと。
作品さえ良ければどうでもいい。
素晴らしい絵を描く人にちゃんとした人なんていないんじゃないかな?
多分友達にはしたくない人ばかりだと思う。
【おん】ラッセンて、、、自宅のグランドピアノとかダイニングテーブルに世界に一つの己の画コラボ特注してたり、
壁も世界に一つの自分画にしてたり、、、
えぇぇー、、、趣味悪い。
って思いましたけど、彼は好きで彼の絵を描いたんだ、
それが好きなんだ!
って驚きと当たり前の発見した自分にも驚き。
【マダム】ザマさんの仰る事、頷けます。
今日たまたま、美術番組でユトリロやってたのチラ見したんですよ。
彼もまた、所謂「友達にはしたくないタイプ」。
家庭事情による愛情欠乏感から10代でアル中→精神病院で絵を描き始めて才能発揮するも退院後はバーフライ(バーとバーをはしごする)はやめられず、行き先々で喧嘩の毎日、
街中でイーゼル立てた途端、石投げられる始末だったらしい。
石投げられるって相当嫌われてるよね。
そうそ、
ラッセンもまた、「ラッセン風」という一つのジャンルを確立し、そしてそれは全世界で共有された。
これは間違いなく偉業。
【O女史】そう。
どうであれ、、、ね。
【マダム】うん、支持層が何であれ…
そして、私改めて、ラッセンほどジグソーパズルにフィットする絵はないのではないかとしみじみしてしまった。
そのうち皆でラッセンパズルしましょうかね。
完成したらズマに飾って笑
【ザマ】長渕剛の歌を皆んなで歌いながらね。
ユトリロは奔放な母親にほぼ捨てられた子供だったんだよね。10代からアル中になり、母親以外の女しか愛せなかった。
【マダム】幼きユトリロとママ
奔放な女性で18の時に私生児としてユトリロを出産。
以来シャバンヌ、ルノワールなどのモデルを務め、ロートレック、エリック・サティなどとも浮き名を流す。
ユトリロはばぁばに丸投げされるのだが、アル中のばぁばは早く寝かしつけるために幼子に安酒を飲ませて寝かせるという、誠にいたたまれない環境で育てられた。
そりゃ10代でアル中になるわ。
【ザマ】もしユトリロが絵を描かなかったらただの性格破綻者だよね。でも彼の絵は素晴らしい。
ロートレックだってポロックだって皆んなアル中だよ。
芸術家は酒飲まなきゃやってられないのか?酒飲まなきゃやってられないくらいじゃなければ芸術家になれないのか?
【マダム】長渕剛!真逆のスピリットがぶつかり合いますねw
アル中までいかないけど、万年二日酔いで吐きまくる私には何かちょっと希望の光が。
それにしても一番荒れてた芸術家って言ったら、やっぱゴッホなんでしょうかね、自分の耳千切れないですよね、普通。
そういう意味でも、えーとあの芸人永野?のネタは案外的を得ているというか。
【ザマ】ゴッホはぶち切れてるよね。唯一の友達のゴーギャンにも捨てられ、生涯で一枚しか絵が売れなかった。
そんな状況だったら耳を切ることの方が正常かもしれないよ。
永野の言う「普通にラッセンが好き」の「普通」が的を得ている…
【マダム】深いですね。
ゴッホ、最期は弟が面倒看たんでしたっけね、それでもピストル自殺…壮絶。
「普通にラッセンが好き」
ここでゴッホ好きな我々やっぱわかってますよネ!とかそういう浅い着地はなしにするとして、
若かりし頃デートした子が、「ラッセンとか好きかな〜」って言ったのを聞いて引く自分の浅さをまずは恥じます。
普通がどれだけ幸せか…。
現代社会はひどいニュースばかり、
テロもない戦争もない、飢餓もない、動物達の弱肉強食の戦いすら伏せられて、
そこにあるのはただ美しく、調和の取れた世界…
やだラッセン…いいかも…
【ザマ】ゴッホの唯一の理解者で保護したのは兄じゃなかった?普通は幸せだけど物足りないよね。そこが僕らの問題?
【マダム】テオですね、弟だったかな。
パリで画商会社の部長級職だったけど、
ゴッホ自殺をきっかけに持病悪くして半年後に死去してます。
で、先日のラッセン放映まとめサイトをちらっと見たんですけどね、
ゴッホとラッセンどっちの人生がいいかって聞かれたら、こんなん断然ラッセンですよね。
翻って私自身は、どこか逸脱していたい/みたいという欲深さを自分で認めざるを得ません、
そういう欲求が、狂人の軌跡や作品にフォーカスさせるわけです。
または、以前ザマさんが仰ったように、どこかに抱えている黒い欲求を、こうした異人達のアウトプットを見ることで、ひっそりと昇華する…
でも模倣すら出来ないのですね、
何故なら私もまた、「普通の人」
であるから。
「アマデウス」サリエリの切なさが沁みる。
ザマさんの絵は結構逸脱してますよね、特に失恋後のとか。笑
承認欲求や、「何者かになりたい」願望、
SNSやネットを介して相対的瞬間的に己と見比べてしまうことで、努力ややり続ける力を簡単に放棄するようになってしまいました、
これが現代日本における「退化の改新」です。笑
そうして自らを信じなくなった市井の人々は街中で人と目を合わせなくなり、手中のスマホに埋没していく。
【ザマ】美術の軌跡は新しい視点を生み出す事だった。印象派は光を、表現主義では作者の心が作品に投影され、キュビズムは多視点と言う新た視点を生み出した。
アカデミズムからの逸脱が新たな視点を生み出して、それが僕達普通の人を興奮させる。
それに比べたらラッセンの絵は絵画ではなく、イラストやインテリアに過ぎない。
逸脱の真逆の予定調和だからこそ、あれだけ売れるし、普通の僕達を安心させてくれるのだろう。
もし僕の絵に逸脱さを感じてもらえるなら、それは下手だからだろう。
下手であることも大事なテクニックなのだ。だから努力しないことに対して僕は批判はない。
努力しないように努力する、「退化の改新」の推進者と言えるかもしれない。