ヒデとマダムの問わず語り 〜好きにさせてよ〜

とあるアンダーグラウンドなバーのオーナー「ザマさん(ヒデ)」と70年代生まれの通称「マダム」が、アート中心に好き勝手語るバーチャルサロンです。よろしくどうぞ。

日本文学変態駄目男素描

【マダム】いやぁ〜、一昨日の大船、本当に楽しかった!おかげさま昨日は日暮れまで二日酔いでした。
今日は川端康成の「舞姫」読んでるんだけど、ちょうど北鎌倉が出てきた。円覚寺

【ザマ】川端康成の『みずうみ』知ってる?
少女の美しい黒い目の中のみずうみで裸で泳ぎたいと願う、醜い足の男の物語をプルーストやジェイムス・ジョイスなどが使っていた「意識の流れ」と言う技法で書いているんだけれど、川端康成の変態性が思う存分発揮た作品。
未読ならば超オススメです。これ前にも薦めたっけ?

【マダム】あら、初耳です。まだ読んでない、買うわ!

あの子の黒目の中で泳ぎたい…それにしても相変わらず設定ぶっ飛んでますね。
先生、ノーベル文学賞もらった雪国以外は相当書きたい放題じゃないっすか。

あゝ、あれはなんてタイトルでしたっけ、
夜な夜な老人の傍に裸の美少女を寝かせるという…

【ザマ】 「眠れる美女」。あれも変態だよね。

【マダム】ああ、そうでした!
谷崎、三島、康成。昭和の変態文学者。

【マダム】坂口安吾の白痴も設定がおかCですね。

【ザマ】田山花袋の「蒲団」も変態だよ。

【マダム】それも読んでない。…でも国語の教科書に載ってたりしてなかったっけ??

【ザマ】小説家に弟子入りした女学生に小説家が恋心を抱くのだが、男がいる事に嫉妬して破門する。小説家は出ていった女が寝ていた蒲団に潜り込み彼女の残り香を嗅ぐと言う。なんともな小説です。

【マダム】…どうしようもないですね!!笑

【ザマ】どしょうもないけどねえ〜。
日本の小説や映画はずっと駄目男を描いている。
映画で思い浮かぶだけでも、
無法松の一生』『夫婦善哉』『秋津温泉』『男はつらいよ』などなど。

【マダム】尾野真千子森山未來の『夫婦善哉』、以前テレビで観ましたっけ。
森山くんのストイックさが青青しかったな。

森繁久弥の一本を、観てみたい!!

それにしてもこうして顧みてみると、日本文学界の主題って言ったらもうどうしようもない体たらくの男ばかりかもしれないですね、

高校生の頃太宰治が大好きだったんですけど、青春過ぎてみるとなんであんなヤワなウジ虫の死に損ないに入れ込んだのかさっぱりわからない。

【ザマ】太宰治は誰でもいっとき、はまるのでは?あの繊細さ、弱さ。弱さに抗えずに堕ちていくダメさは、高校生にはたまらないかも。
僕好きだったしね。

調べてみたら川端康成は〈魔界〉と言うテーマで『舞姫』『みづうみ』『眠れる美女』『片腕』を書いている。
〈魔界〉とは禅でいう煩悩の世界。
それを川端は煩悩(現実の醜)を「美」に昇華しているとのことだ。

『片腕』も面白そうだね。
ある男が、ひとりの若い娘からその片腕を一晩借りうけて、自分のアパートに持ち帰り一夜を過ごす物語。
官能的願望世界を、シュール・レアリズムの夢想で美しく抒情的に描いた作品だと言う。

【マダム】川端センセの官能的願望世界…もう二の句継ようがないな。笑

美に昇華するにはどうしたって女人、もしくは美しい男の存在はなくてならないわけですが、
こと「片腕」に至っては若い娘の「腕」ですもんね…
描写気になりますね、片腕。

パーツ愛と言ったらいいのか…

客体化の極致ですねぇ。
そして確かに脚じゃエロすぎる。

太宰、ザマ青年も愛読時代があったのですね、やはり皆通る道で安堵。
あの人の短編はカラッとしたのもあって、秋の散歩に持ち歩くには良いかもしれない。

マゾという立場も、自己を徹底的に客体化する/女王の導きで客体化されていくことで、自意識を超越していくそのプロセスが多分重要なはずと考えています、
そしてその過程は多分に文学的ではないかと(誰がなんと言おうと)。

翻って、文学というのは原則一人の頭の中で紡がれる「あんなこといいな、出来たらいいな」であるからして、密室の中で完結するSMとはベクトルが違う、

「よーし、書けた!出しちゃうぞ〜俺の脳内プレイ!」
で出版してしまうあたり、やっぱり相当なヘンタイですね。