日本文学変態駄目男素描
【マダム】いやぁ〜、一昨日の大船、本当に楽しかった!おかげさま昨日は日暮れまで二日酔いでした。
今日は川端康成の「舞姫」読んでるんだけど、ちょうど北鎌倉が出てきた。円覚寺。
【ザマ】川端康成の『みずうみ』知ってる?
少女の美しい黒い目の中のみずうみで裸で泳ぎたいと願う、醜い足の男の物語をプルーストやジェイムス・ジョイスなどが使っていた「意識の流れ」と言う技法で書いているんだけれど、川端康成の変態性が思う存分発揮た作品。
未読ならば超オススメです。これ前にも薦めたっけ?
【マダム】あら、初耳です。まだ読んでない、買うわ!
あの子の黒目の中で泳ぎたい…それにしても相変わらず設定ぶっ飛んでますね。
先生、ノーベル文学賞もらった雪国以外は相当書きたい放題じゃないっすか。
あゝ、あれはなんてタイトルでしたっけ、
夜な夜な老人の傍に裸の美少女を寝かせるという…
【ザマ】 「眠れる美女」。あれも変態だよね。
【マダム】ああ、そうでした!
谷崎、三島、康成。昭和の変態文学者。
【マダム】坂口安吾の白痴も設定がおかCですね。
【ザマ】田山花袋の「蒲団」も変態だよ。
【マダム】それも読んでない。…でも国語の教科書に載ってたりしてなかったっけ??
【ザマ】小説家に弟子入りした女学生に小説家が恋心を抱くのだが、男がいる事に嫉妬して破門する。小説家は出ていった女が寝ていた蒲団に潜り込み彼女の残り香を嗅ぐと言う。なんともな小説です。
【マダム】…どうしようもないですね!!笑
【ザマ】どしょうもないけどねえ〜。
日本の小説や映画はずっと駄目男を描いている。
映画で思い浮かぶだけでも、
『無法松の一生』『夫婦善哉』『秋津温泉』『男はつらいよ』などなど。
【マダム】尾野真千子と森山未來の『夫婦善哉』、以前テレビで観ましたっけ。
森山くんのストイックさが青青しかったな。
森繁久弥の一本を、観てみたい!!
それにしてもこうして顧みてみると、日本文学界の主題って言ったらもうどうしようもない体たらくの男ばかりかもしれないですね、
高校生の頃太宰治が大好きだったんですけど、青春過ぎてみるとなんであんなヤワなウジ虫の死に損ないに入れ込んだのかさっぱりわからない。
【ザマ】太宰治は誰でもいっとき、はまるのでは?あの繊細さ、弱さ。弱さに抗えずに堕ちていくダメさは、高校生にはたまらないかも。
僕好きだったしね。
調べてみたら川端康成は〈魔界〉と言うテーマで『舞姫』『みづうみ』『眠れる美女』『片腕』を書いている。
〈魔界〉とは禅でいう煩悩の世界。
それを川端は煩悩(現実の醜)を「美」に昇華しているとのことだ。
『片腕』も面白そうだね。
ある男が、ひとりの若い娘からその片腕を一晩借りうけて、自分のアパートに持ち帰り一夜を過ごす物語。
官能的願望世界を、シュール・レアリズムの夢想で美しく抒情的に描いた作品だと言う。
【マダム】川端センセの官能的願望世界…もう二の句継ようがないな。笑
美に昇華するにはどうしたって女人、もしくは美しい男の存在はなくてならないわけですが、
こと「片腕」に至っては若い娘の「腕」ですもんね…
描写気になりますね、片腕。
パーツ愛と言ったらいいのか…
客体化の極致ですねぇ。
そして確かに脚じゃエロすぎる。
太宰、ザマ青年も愛読時代があったのですね、やはり皆通る道で安堵。
あの人の短編はカラッとしたのもあって、秋の散歩に持ち歩くには良いかもしれない。
マゾという立場も、自己を徹底的に客体化する/女王の導きで客体化されていくことで、自意識を超越していくそのプロセスが多分重要なはずと考えています、
そしてその過程は多分に文学的ではないかと(誰がなんと言おうと)。
翻って、文学というのは原則一人の頭の中で紡がれる「あんなこといいな、出来たらいいな」であるからして、密室の中で完結するSMとはベクトルが違う、
快楽の館
【マダム】どうでしたザマさん?「快楽の館」。
【ザマ】篠山紀信の写真は琴線にふれることはなかったです。
その後に見に行った、恵比寿写真美術館で開催している杉本博司の『ロスト・ヒューマン』は素晴らしかった。
これは絶対に観た方がいいですよ。オススメです。
【マダム】やはりー。原美術館の今回の企画、
「作品をその場に戻す」意図は素敵と思いましたが、ヌードのモデル達が皆今様なのが…
なんというか、芸能人、モデル、ダンサー、綺麗過ぎて。
って私はグーグルの画像検索で見ただけなんですけどね。
快楽の館、っていうから、ナン・ゴールディンみたいな爛れた感じを期待していたんですけど。
現代芸能界に生きる綺麗な20代30代のモデル達をヌードにしたって、所詮その快楽は男性的視点でしかないんだよなあ。
平凡パンチとどう違うの?っていう。
【ザマ】快楽の館のモデルはハズレだったな〜 壇蜜がメインじゃあねぇ〜。
【マダム】成る程ー、それだとかなり固定化された世界感ぽいですね。
「快楽の館」って、元はロブ・グリエの著書から取ってるんでしょうか、
アラン・ロブ・グリエといったら、私が観たくてまだ観れてない映画の一本である「去年マリエンバートで」の脚本を書いたヌーボー・ロマンの作家なんですけど…。
youtu.be
衣装は全編ココ・シャネル、っていう。
ゴージャスとシュールの絶頂っぽい感じに胸躍ります。
尚、タイトル本家著書「快楽の館」のあらすじは以下の通り。
女の肉体に眺め入る。麻薬や人身売買が横行し、スパイが暗躍する英領香港の一郭、青い館が催す夜会。
そこで出会った娼婦を手に入れるため金策に走り出す。一方では老人の不可解な死...あざやかな幻覚が紡ぎ出すエロティシズムの体験。
小説の枠を解き放ち新しい小説の旗手となった、ロブ=グリエの代表作。
- 作者: アラン・ロブ=グリエ,若林真
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※補足「去年マリエンバートで」は、黒澤明の「羅生門」に着想を得て撮られたそうです。
と、まあ最初原美術館HPで、「快楽の館」というタイトルを目にした時の期待感と実際の写真を見た時の印象の乖離はなんとも興ざめなものでした。
美しい女優やタレントやモデルに罪はありませんが、このタイトルを意識・またはこのタイトルに惹きつけられる志向としては、
どちらかというと、ナン・ゴールディンが撮るヌード、
またはアラーキーのようなウエットさ、
退廃であったり、
一般の・衰えた・よく磨き上げられている肉体とは真逆の存在・ある種の不具とも呼べる・枠外の、
でもそこにある親しみと愛惜により全てが抱合されているという、
そういう世界観に冠されてこそではないかという、断固たる価値観があるわけなのですが。
業界でシノギを削る若き肉体を裸にして一等地のハコに飾って、って…
ノーパンしゃぶしゃぶで喜ぶ政治家のノリと何か近しいもの、もしくは美しきマネキン標本といったらいいのか。
肉薄したものが何もなくて、何が「快楽」か、教えて先生。
ボブディランの岩戸隠れ
数日前のこと。
www.huffingtonpost.jp
【マダム】ザマさん、ボブ・ディランがノーベル文学賞受賞ですって。
【ザマ】ボブ・ディランがノーベル文学賞とは!好きだからいいけど。
「トレインスポッティング」で知られるスコットランドの小説家、アービン・ウェルシュノーベルのディランの選出への酷評が面白かった、
「私はディランのファンだが、これは、もうろくしてわめくヒッピーらの悪臭を放つ前立腺がひねり出した検討不足で懐古趣味な賞だ」
トレスポぽい。
【マダム】ちょっと前に、IBMが自社開発AIの「ワトソン」とボブ・ディラン対話させるCMがあったんですが。
このCMを観てしまった時と同じような違和感、ヤラシさを感じてしまいました、
授賞に関して。いや、全くもっていやらしい。他の人はいい。だが、彼に手を出すべきではなかった。
この寒気のするIBMのCMはその後二度と観なくて済んだけど(テレビあまり観ないから)、
…
さて、ニュースリリース明けて翌週今日現在、当の本人と連絡が取れていないんだそうだ。
神は天の岩戸にお隠れになりました。
確かに今世紀最も偉大な詩人の一人ですが、そんなの今更権威サイドが言う必要あったのか。
取り込まれた時点で、
「私たちわかってるでしょ」のアティテュードに利用されてしまったかのような、
ボブ・ディランの処女性は、永遠に喪われてしまった。
そして何よりもコトの本質は、
これだけ反戦を、くだらない大人達の事情を、自然を愛する尊さを、武器を捨てることの重要さを歌ってきたのに、
世界は一向に良くなるどころか、
破滅に向かってる。
宗教は狂人を生み出し、
政治家は戦争で金を儲け、親達はスマホに夢中で子供を顧みない。
アメリカの子供は銃を持ち、アジアの子供はビルの屋上から身を投げる。
俺の歌でお前ら何か変わったか?
自由について考えてみたか?
この世界の有り様はどうだ?
果たして本当に今君は、幸せかい?
この問いに向き合ってから、授賞すべきだったよ、選考委員。
【ドープなユートピア】〜マダムの独り言〜
クーリエジャポンWeb版で、
こんな記事を見つけた。
ONUKA「1986」。
2分36秒辺りから耳を澄ませると、
緊迫した異国の人の声が聞こえる。
伸びやかなボーカルに荘厳なメロディー。
フジロックで聴いてみたいな…
山々にこだまする静謐な叫びが、福一、核世界への想いと共鳴するに違いないでしょう。
もう一つ、
一昨年辺りに'Chill One Radio'という仏ネットラジオで偶然拾った曲「Dopia」。
「The Sushi Club」というなんともチープ&ファニーな名前の日独ハーフアーティストのようで、「Nikujaga」「Sakura」なんて曲がてんこもり。
さてこの「Dopia」、「ドープなユートピア」を縮めた造語なのか、この観念もまた妙な馴染みの良さで、私達の意識に混ざり合ってきます。
リリースは05.06.2011、
つまり、311から2ヶ月足らず。
トラックに乗っかってる上音はどこかふざけているようで、なんとも言えない脱力感に中毒注意。
そしてサンプリングされているのは日本人少年の声。
「さぁ、戻ろう?
僕らは、
外では生きていけないんだよ」
「迎えに?」
合間に、電波が混線しているような「ジジジ…」という音。
曲の終わりには、結構深遠な気分になっていると思います。
日本も間もなく原爆投下経験日と、終戦記念日を迎えるにあたり、改めて。
8月6日:広島原爆投下日
8月9日:長崎原爆投下日
8月15日:終戦記念日
6+9=15
マダムの読書備忘録【伊丹十三「女たちよ!」】
伊丹十三の著書「女たちよ!」について書きたいと思っていたのだが、なかなか思うように時間が取れないまま過ぎてしまうので、幾つか印象的な箇所を引用して、備忘録としておきたく。
前置きに、伊丹十三というと「お葬式」「マルサの女」などで有名な映画監督なわけだが、映画を撮る前はグラフィックデザイナーであり、コピーライターでもあり、絵を描かせればこれまた上手く、
英語はペラペラでアラビアのロレンスを演じた「ピーター・オトゥール」とは軽口をたたきあうマブダチ、という塩梅。
これと肩並べて歩けるかっていう。
後年広尾の自宅マンションで転落自殺、裏にいるのはヤクザか学会かーというゴシップの尾ヒレも鮮明に、またいっそう謎めいてー
洋風イケメンではないにしても、これで背が180cmですよ。
ちょっとだけ春日に似てるけど。