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ヒデとマダムの問わず語り 〜好きにさせてよ〜

とあるアンダーグラウンドなバーのオーナー「ザマさん(ヒデ)」と70年代生まれの通称「マダム」が、アート中心に好き勝手語るバーチャルサロンです。よろしくどうぞ。

マダムの読書備忘録【伊丹十三「女たちよ!」】

伊丹十三の著書「女たちよ!」について書きたいと思っていたのだが、なかなか思うように時間が取れないまま過ぎてしまうので、幾つか印象的な箇所を引用して、備忘録としておきたく。

前置きに、伊丹十三というと「お葬式」「マルサの女」などで有名な映画監督なわけだが、映画を撮る前はグラフィックデザイナーであり、コピーライターでもあり、絵を描かせればこれまた上手く、
英語はペラペラでアラビアのロレンスを演じた「ピーター・オトゥール」とは軽口をたたきあうマブダチ、という塩梅。

これと肩並べて歩けるかっていう。


後年広尾の自宅マンションで転落自殺、裏にいるのはヤクザか学会かーというゴシップの尾ヒレも鮮明に、またいっそう謎めいてー



洋風イケメンではないにしても、これで背が180cmですよ。
ちょっとだけ春日に似てるけど。



そこへゆくとヨーロッパの子供なんかは、まだしあわせだと思う。今でも昔ながらに、彼らはコーヒーの豆を挽く音で目を覚ますことができるからだ。そうして、ヨーロッパではだれも

「コーヒーは匂いがとびやすい。
だから新鮮な味と香りを愉しむためには、
コーヒーは必ず飲む直前に必要な分量だけを挽くようにいたしましょう」

などと絶叫したりしない。
つまり必要がないのである。常識がいまだに常識として生命を保っている。
つまりそれが文化というものであろうー
〜「乾いた音」より〜


つまり、センス・オヴ・プロポーションからするなら、テレヴィジョンを見る時間が本を読む時間を越えるということは絶対に我慢がならない。この両者の比率は五対一くらいでたるのが健全というものであって、ましてテレヴィジョンだけ見て一日暮らすというのは明らかに狂人か痴呆のわざである。
活字の効能というのは、物事を抽象化する能力を養うことであって、この能力を失った人間というのは、これは話をしていてもまるでとりとめがないー
〜「テレヴィジョン嫌い」〜


 やはり美人もある年になったら、お臍が隠れるような白いナイロンのパンティなんかぞろりと履かないようにしてほしいと思う。
フランスのルーという会社のレースの三揃いなんて見たことがあるかね?
薄いグレイと薄いピンクのレースでツー・トーンになった、ビキニ型のパンティとブラジャーとガードルとが揃いになったもので、
これは正に夢のように美しい。銀座あたりにも売っているんだよ。もっとも一揃い一万いくらもするが。
でも、役に立たぬ花嫁修業や、ろくでもない嫁入道具にかける金があるなら、こういうものを買ってほしいと思うのですね、男はー
〜「スタンダールの恋愛論」〜


 このクレソンだけでサラダを作ってみよう。これはかなりヨーロッパの味覚であります。
ドレッシングは、後に詳述するが、まずオリーヴ油にレモン、これに酢をちょっときかせる。そうして、作る過程で大蒜、胡椒、マスタードの粒、塩、なんぞが少しずつはいる。クレソンの場合は、砂糖をほんのちょっぴり、隠し味として用いることが有効である。
〜中略〜
 これはごく鄙びた味わいの、いわば田舎の大御馳走でありますからして、決して茹玉子の輪切りを綺麗に飾り付けたりなどしてはならない。
いわんやレタスの葉を下敷きにしてお上品に盛るなんぞは烏滸(おこ)の沙汰といわねばならぬ。
大きな鉢の中でドレッシングを作り、そこへ右の材料全部を入れてかきまわす。(ドレッシングというのは野菜の上からかけるものではない。
必ずサラダ・ボウルの中で作るものと知るべし)これをそのままどんと食卓の中央に据える。こういう精神のものでなければなりませんー
〜「サラダにおける本格」〜


 フェラーリくらいの最上等の車になると、色は渋いほど洗練された感じになってくる。白でもすでにはで過ぎる。赤ときては論外であろう。
車はフェラーリくらいの芸術品になると、色で目立たせようなんてことが、車に対する侮辱になってしまうー
 〜「猫の足あと」〜

夏の戸外での食事、といえば、思わず目に浮かんでくるのは「ロゼ」である。
葡萄酒には、白と赤のほかに、薔薇色をしたロゼという種類がある。英語ではピンク・ワインという。
ロゼというのは白と赤の葡萄酒を合わせたものだと長い間思っていたが、どうもそうではないらしい。そういうロゼもあるにはあるが、大半はそうではないらしい。
〜中略〜
講釈が長びいたが、つまり、そういうふうに、若若しく、軽やかで色の美しい葡萄酒がロゼである。
いわば気楽な酒であって、日を浴びながらする、野原や海岸での昼食に、これほど似つかわしい酒はまたとあるまい。白と同じく、よく冷やして飲む。
いま一つロゼの便利な点は、レストランで、白一本赤一本の葡萄酒が、量的にも経済的に負担であるという時、ロゼ一本で両方兼用してしまうことができるという点にある。深夜の二人連れの食事で、相手が飲まない、などどいう時に、ぜひ一度試みられるがよろしかろう。肩の凝らない、いい友人を発見したような心持ちになるものであるー
〜「過ぎ去った夏の日日」〜

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とまあ、ざっと抜粋文を並べただけでもどうですか、「そこに在るダンディズム」に吃驚するじゃありませんか。
ちなみにこれ、氏が35歳で語られたお話。三十路も半ばにして、もう仕上がりきってる。


また、義理の弟でもある大江健三郎によれば、

伊丹十三は若い頃、女性を抱きしめる時は尾てい骨から数えて上に三番目の関節を押さえれば、それが最も理想的な抱きしめ方だと教えてくれたんですよ。」
とのこと。

ダダ漏れダンディズム。


他、人生においてテーマをたてるのことの必要性、
モテたいという精神構造について、
こっそり読者に教える美味しいサンドイッチ伊丹十三風、
紳士は野暮であれー
 「いい服というのは、目立たず、ごく上等で、由緒正しく、かつ野暮なものがよい。似合いすぎる服、一分の隙もない服装などというものは、人間が胡散臭くなるだけだ。」

男女の機微について思いを巡らせては、
「ああ、私は女に飽きたくないなあ」。
等々。



顔良し頭良しセンス良し、料理の腕も一流で、背も高い上に映画も撮れる。

だけれども冒頭で、
「と、いうようなわけで、私は役に立つことをいろいろと知っている。そうしてその役に立つことを普及もしている。
がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。
私自身はーほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない。」
と断っているのですね、
この死角のなさ、、

さて、改めてページをめくってみると、飲食に関する記述が目に付く。思えば村上春樹の書く料理はなぜか妙にそそる、
というので世間ではメニューの再現だったり、レシピ本まで出てる様子ですが、伊丹十三が展開する料理もまた、実に美味しそう。

Twitterには、伊丹十三botなるアカウントも存在していて、覗いてみるだけでもお勉強に。
「誰が言ったか忘れたが、美意識とは、嫌悪の蓄積である」ー。

妻であり女優の宮本信子にしてみたら、この男性の妻を務めるというのがどれだけのことであったか、計り知れないものがありますが、

掘れば掘るほど、やっぱりレミーマルタンを丸々ひと瓶飲み干して酩酊・ビルから投身自殺なんてのは、この人の美意識においてやはりあり得ないことだなぁと、改めて世間の闇を思うのでした。

カレーを食べる際、「お冷や」にスプーンをつけることの愚劣さもまた、著書で触れられております。

女たちよ! (新潮文庫)

女たちよ! (新潮文庫)